gloomyfioreのブログ

フィクションです

戯言

 

何もしたくない ずっと寝ていたい 検索

 

欲求不満 感情の地滑り 承認欲求 無 エトセトラ

ずっと疲れていた気がする 退屈

退屈な朝 退屈な夜 退屈な授業 退屈な塾 退屈な毎日 退屈な自分 

世界が退屈なんじゃなくて自分が退屈だと気付き始めたのは最近で でも何もしたくないし あれやこれやとやってみても 結局全部退屈なまま

勉強 ピアノ ギター アニメ 漫画 メイク 服 ピアス セックス 煙草 運動 食事 旅行 散歩 読書 

 

結局私は欲のために泣けても 感情で泣けはしないから 好きも嫌いもいつからかよく分からなくなって 好きがただの執着になり 嫌いが全部型になり 何をしたら幸せなのか 何をしなければだめなのか そもそもやってはいけないことってなんなのか なんでみんな疑いもなく生きていけんのか 自分を縛るもの 置かれている状況 相変わらず繰り返す日々

全部どうして投げ出しちゃいけないのか どうして投げだせないのか 理性に縛られた人間なんて 全然つまんないよね まあ自分もだけど

 

寂しいなあ クラスメイトは明日の朝も ちゃんと起きるんだろうな きちんと髪の毛結んで 化粧もせず 時間通りに いつもの電車に揺られて すごく素敵だ でも私には そうしなくちゃいけない理由も全部よくわかんないや なんで生きてるんだろうね

 

友達は好き ママもパパもやさしい お兄ちゃん達も好き 塾の先生も好き 学校の先生は嫌いだけど でもやさしいことは知ってるよ ありがとう  みんな好きだけど でも その人達が生きる理由にはならないかな あんまり人に興味ないんだ ごめんね 母も父も ごめんね でも好きです

 

私が退屈だから何しても退屈なのかな バカだけどバカなりに思いつくことしてみたし 色んなものに触れてみたつもりだったんだけど だめだったね もうよくわかんないや

昔から目的が見えないと全部怖くて  いままで将来の夢なんか持ったことなくて なんか急に怖くなって ぼんやりしたものってなんかすごく怖いんだよね ビビリだからさ

 

もう毎日疲れたなあ 何も考えず過ごせたらなって思います まあなにもかんがえてないひとなんていないし みんな大変なのは知ってる 自分だけじゃない 知ってるよ でもその言葉大っ嫌いなんだよね だから何?じゃあ死ねば? できないことも 知っています

空は青い だからどうした 雲は白い だからどうした お前はだれだ しらない

明日食べるご飯も 今日寝る場所も なんにもなかったらこんなことは思わないと思うし ぜいたくな悩み 馬鹿げてるかもしれない ちゃんとしてよ うん、わかってる だからどうした?

 

目的地もなく うすぐらい まっすぐの道をずっと歩き続けているような毎日 何のために外に出るの? 何のために勉強するの? 何のために今日も頑張るの? 全部全く無意味に思える

何でもやればできた ギターもピアノもやればできた 正直頭は悪くない でも全部している意味がわからない 生きるため? しなくちゃ生きていけないの? そんなことはない すべてものもに無意味で無価値な でも人々は絶対と捉えがちな「しなくてはいけないこと」 本当に?

 

なんかもう全部ばかばかしく思える そんなばかばかしいことをしていくために生きるのか ばかばかしい もっと乱れてしまえ もっと狂ってしまえ 真面目なんてつまらない もっと自堕落的な 最悪で最高の楽しみを 理性なんか脱ぎ捨てて もっと楽しませてよ 一緒に楽しんでよ バカみたいなことやめて一緒に踊ってよ ねえだれか

こんなつまらない薄暗い道からだれか連れ出してよ ねえ ずっと待ってるから 何年も待ってるから 早く連れ出して 一緒に地獄に落ちて

ばかばかしいもの

 

 


SNSで喧嘩もできる時代になって、気づけば9月になった。

それでもまだ酷く不快な夏を抱いていたくて、全く不必要なクーラーを寒いほど効かせている。

 

夏は終わった。まだ8月が終わって1週間ほどしか経ってないのにすっかり夏に失恋した9月は、ちょっぴり心を刺す匂いのする秋の風で私の髪の毛を撫でる。夏の間に聴き飽きた音楽がまだイヤフォンを奏で、慣れない朝に慣れた生活がまた私の脳ミソを退屈に腐らせていく。進んでは退廃。下がっては退廃。結局なにをしても相変わらず退屈で退屈で退屈なことが面白くて、思わず1人で笑みを零してしまうようになってしまったのは多分、一番ばかばかしくて退屈なのは自分自身だと気付いた時からだろう。

 

お風呂を上がった後の軽い体で涼しい部屋の冷たいベッドに転がるのが好きだ。その一瞬のために憂鬱な朝も辛気臭い昼も存在しているのだと思う。洗いたての髪の毛と暖かいからだにパンツとTシャツを纏っただけの格好でベッドに潜り込むと、なんだか全てがばかばかしく思えてきて、いっそこのまま死んじゃえば幸せだと、これまたばかばかしいことを考えてしまう。その一瞬にも満たない小さな幸福の顔をした絶望が、また朝を連れてくる。

 

そんなばかばかしい流れ作業のような日々を積み重ねて全部飽きてしまう頃にはちゃんと大人になれているのだろうか。どんなに巧妙な推理小説も一世一代の大恋愛も、終わってしまえばばかばかしいものだ。ばかばかしい奴らがばかばかしいことをバカにするようなくだらない茶番を繰り返すような世界で、笑う必要はないのである。

 

何故かいつも、傘を忘れる。

 

雨自体はさておき、雨の日が大嫌いだ。

朝起きた時雨音が聞こえてくると、その1日はもうずっと眠っていてしまいたくなる。

敢えて理由を付けるなら、朝の電車はジメジメしていつもより混んでいるし、雨が制服に触れると最悪だし、髪の毛はグチャグチャになるし化粧はヨレるし、いろんなところが滑りやすくなっていてどうにも生きれたものではない。雨の日の外は殺人級に不機嫌な要素を含んでいて、少し怖い。雨の日は、お家で雨音を愉しむくらいで十二分だろう。ご勘弁頂きたい。

もうすぐ梅雨だ。前髪を少し切ろうと思う。

 

 

最近はまた少し調子が悪い。毎日の繰り返しにどうしようもなくなる。学校を少しサボってみたり、買い物をしてみたり、美味しいケーキを食べたりしてみても降下は防げそうにない。それでも投げ出すことの出来ない私にもうんざりする。決して良い子とは言えない私は、決して悪い子にもなれやしない。悪役に同情心など持ち合わせてはいけないのだ。それでも何とか向き合おうと毎日心を侵食する沢山のモヤを整理する為にと言語化を試みるが、1文字すら綴ることが出来ない。それでも言葉にすることを避けてしまってはそれこそ二進も三進も行かないので、足掻く。何も出来ない無力さに虚しく眠る日もある。

 

学校の授業を受けていると、心が死んでいくような感覚を覚えるようになったのはいつだろう。黒板に書かれた文字を眺めているだけの退屈な時間、この教室に、私が居る価値はあるのだろうか。私はもう授業を受けることなど放棄して、教師の声をBGMにしながらずっと本を読んでいた。江國香織の「神様のボート」だ。だいすきなこの本について話していては埒が明かないので止めておく。夢中になって読書していたらいつの間にか授業が終わったことに、少し救われた。いつだって真面目にノートを書く必要などなかった。

 

友達はたくさんいる。両親は優しい。経済的にもわりと恵まれたほうだ。

「自分を不幸だとは思わなかったが、でも、つまらなかった。生きていてもよくわからなかった。どうすればいいのか、どうしてもっと生きなくちゃならないのか。」

神様のボートで、こういう文章がある。

とても贅沢な悩みだと思う。余裕があるからこその悩みだ。私は少し我儘過ぎるのかもしれない。

けれど、やっぱりこのままどうすればいいのかはさっぱり分からない。

 

 

大人について

 

 

教師が大嫌いだった。大人が大嫌いだった。頼れる大人なんてなんにも魅力的ではなかった。朝の電車が嫌いだった。制服も校則も、私を意味無く不自由にさせるものはなんでもきらいだった。理解できない事がもどかしかった。分かりもせず知ったような口を聞く大人にはもっとうんざりした。要するに、一般的に呼ぶ「大人」という存在に、いつも絶望させられていた。

 

愛されていないわけではない。両親共からそれなりに愛されて育ち、教師にだって冷たい目を向けられた事は無い。私だって両親の事は好きだし、教師共の人間性自体が嫌いなわけではない。だからこそ、さみしい。どうせなら、極端でいたかった。

 

かつて私を産んだ彼女が、私の事をなんにもわかっていないことが悲しくてたまらなかった。そんな事はとうの昔に分かっていたのに、母親も私の嫌いな種類の「大人」だということを感じる度にこの上ない寂しさを未だに覚えてしまう。愛されているが理解できない、その矛盾を受け入れるにはまだ少し幼いのかも知れない。

 

中高6年間通い続けた同じ場所に、思い残すことはあるのだろうか。数式や化学式や綺麗事みたいなガラクタばかりで、大事な事は何一つ教えて貰っていないような気がする。学校が大事だなんていう大人は全く信用できない。ましてや仲間意識を強要して来る奴は吐き気がする。みんな同じ服を着た、自分1人が居なくても対して困らないような集団で馴れ合う方法よりももっと大事な事が沢山あると、どうして大人は言ってくれないのか。嫌いな人とも仲良くしましょう、なんて綺麗事なのよと、謙虚かつ大胆に、暴力的に生きるのが最もラブリーでゴキゲンなのよと、なぜ教えてくれないのだろう。私が高校生活で一番欲しかったのは、茶髪でもピアスの穴でも大量の化粧品でも恋人でもお金でも、セックスや酒や煙草の経験でも偏差値でも教科書でも無く、一緒に悪足搔きをしてくれる大人だった。大人とかいう存在に、一緒に絶望してくれる大人が、欲しかった。

 

私はそれでも勉強するだろう。ターゲット1900は繰り返し覚えるだろうし、ネクストステージはこの先チェックだらけだろうし、セミナーも繰り返し解くだろう。チャートもやらなければいけない。結局は真面目なのだ。遅刻もするし茶髪だし、ピアスだって何回も開けた(今は黒髪だし、全て閉じている)。化粧もしている。でも私は真面目だ。周りに悪足搔きをしてくれる大人はいない。理解者は自分しかいない。今はそれでいいのだ。

 

いつか、溶かす誰かが現れるまでは。賢く不真面目になれるように、そして私自身が悪足搔きを出来る、大人にちょっぴり絶望した大人になれるように、私は私なりの真面目を貫こうと思う。

 

今日は泣き疲れたので寝ようと思う。それでは、どうかお元気で。

 

 

4/18 夜

 

新年度を迎えたにも関わらず、相変わらず遅刻ばかりしている私。面白おかしく話すことだけは得意な私。すぐに勘違いして人を非難することをやめられない私。滅茶苦茶に口が悪い私。外見ばかり気にしてしまう私。愛されないと嘆く私。愛したいとほざく彼。愛されたがりの彼女。

 

人間というのは多面的で、誰しもが必ずいろいろな顔を持っている。いろいろな考えを持っている。だからこそ、他人を深く理解するにあたりその人間をいろいろな面で客観的に、ときに主観的に観察することは必要不可欠なのだ。私は物事を自己中心的に考える人間をひどく嫌っていた。

 

「見方次第だ。物事は多面的だ、貴様は底意ばかりクローズアップしている。よく見ろ、気付け 選び放題だ!!どう視る?」

私はこのセリフが大好きだった。そんなことも忘れていた。自己中心的に考え、底意ばかりクローズアップしていたのは、ほんとうは、自分なのかもしれない。けれどそのことにも気付いていなかった私はどうすればいいのか最早わからない。少しばかり疲れた。気付きたい。気付いてはいけないのかもしれない。結局は私は愛されたがりで、自分を悲観的に考えることで慰めているのかもしれない。さみしい。外ヅラにばかり固執している私はもうからっぽなのだ。もういやだ。傷付かないために、常に最悪の状況を前提として物事を捉えていた癖は今更抜けやしないのだろうか。悲しい人間になってしまったものだ。最早収集の術すら見つからない。今夜はもうおしまいだ

4/6 深夜

 

 

愛とは儚いものである。世界が愛に溢れていることは事実だというのに、愛だけではどうにもならないことばかりである。

 

 

言葉とは脆いものである。いざという時には役に立たないものだ。わたしにとって、本当の感情は、言葉なんかでは表すことができないぐるぐる巻きの毛糸のようなもので、それを言葉にしようと解いてみても、どうしても齟齬が発生してしまう。そして素晴らしいほど純粋な私は、その解いた綺麗な感情を本当の感情だと書き換えてしまうのだ。残された曖昧な部分は私の隅においやられ、どんどん蓄積されていってしまう。時にそれはわたしを救い、時に苦しめる。私はそれが嫌いではない。

 

欲望とは罪なものである。満たされた人間がつまらない事はずっと昔から分かっていたことであるが、満たされない人間がいつまでたっても寂しいことも私は知っている。舐め合うために傷付けあうのも甘く官能的な響きであるが、結局は身体の傷も心の傷も、治すことができるのは自分自身であるということに気付いた私は、並大抵の17歳ではないかもしれない。泣きながらご飯だって食べちゃうぞ

3/30 深夜

たばこを吸った。はじめてのことである。私の周りは喫煙者ばかりなので、手に入れるのは至極簡単なことであった。まだ17歳の私がどうしてたばこなど吸っているのか、それは私にもよくわからない。好奇心か、はたまた寂しさなのか。

この2年間ほど私は形容しがたい虚無感に苛まれることが多々あった。たいてい夜で、初めのうちはどうしたら大丈夫になれるのか、ひたすらに思考し続けたのちに結局疲れ果てて眠りにおちていた。疲れ果てる境界線一歩手前のなんと絶望に満ち溢れたことか!そうして眠りにおちた朝は、素晴らしいほど清々しい。そう、すがすがしいほどに何も変わっていないのだ。「明けない夜はない」というパッセージは、大抵、いつか朝が来るという事実を希望的に見立てたものだ。暗い夜があったとしても、かならず光は差す。なんと生命力溢れた解釈であろうか。下らない。私は「明けない夜はない」という希望的観測に、絶望的心理しか抱けないのだ。どうして何も変わらないのに朝が来るのか。ずっとこのまま、ひとりぼっちで、答えのない問題に頭を悩ませ続け力尽きるほうが私にとってはよっぽど自由で、確かな幸せであるかもしれないのに。


どうしようもないことにどうしようもなく哀しくなり、全然大丈夫ではない状況下で笑顔になれるほど私は強くないのだ。茶化した態度で他人と接しているわたしは、一見して図太く鈍感であるように見られがちだが、ひどく繊細で、直ぐに傷付いてしまう。自分が作り上げた人物像なので仕方ないのだが、私がひどく繊細でいつもメソメソしているという事実に、母親でさえ気付いていないのだ。私には私を知る者がいない。もしかしたら、私ですら私を知らないのかもしれない。


こういった表面上の自分と本当の自分の行き違いにどうしようもない孤独を感じ、両方の私を愛してくれる人などいないのだろう、分かってくれる人はいないのだろう、という一抹の不安や絶望に、17歳の私は立ち向かう術を知らない。なぜなら私はもうどちらかの自分を捨てることなど出来ないのだ。この上ない生きにくさと歯痒さを抱えながら、今日もわたしは化粧をする。初めて飲んだたばこの銘柄は、キャスターの5㎜だった。